自由国際大学(Free International University)について


自由国際大学は、ドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイス(1921~1986)が始めた社会・教育・文化の改革運動です。ボイスは、彫刻作品の制作と展示、フルクサスでのアクション、デュッセルドルフ芸術アカデミーでの教育活動を通して芸術概念を拡大し、さらに、人びとが対話を通して社会と人びと自身を変革していく場として、自由国際大学を設立しました。日本では1984年のボイス来日が契機となり、1985年、以前からボイスと交流のあった美術批評家の針生一郎、美術家の若江漢字、当時『ボイス・マガジン』を出版・発行していた林田茂留(のち明大)らを中心に自由国際大学(Free International University Japan[FIU Japan])が始まりました。
ドイツの自由国際大学はデュッセルドルフ芸術アカデミーの中のボイスの元アトリエに連絡事務所を置いていましたが、『FIU Japan創立趣意書』にもあるように、キャンパスやカリキュラム、社会的地位としての教師と学生の区別、入学試験といったものを持ちません。ボイスが1977年のドクメンタ6で『作業場の蜂蜜ポンプ』とともに自由国際大学のワークショップを開き、100日間さまざまな社会問題について話し合ったように、対話を通してこれからの社会のあり方を探り、またそこに参加する人びとが自分自身を発展させていくことを主な目的としています。そこから、アクションやプロジェクトは生まれてきていますし、それは実際に社会をつくっていくことにつながっていきます。
現在の活動と組織のあり方は、創立趣意書にあるものと多少違いはあるものの、方針は変わっていません。月に1回程度のミーティングが中心で、ほかに、不定期ですが、レクチャー・シンポジウムの開催、ヨーゼフ・ボイス研究、美術作品の共同制作、デモなどを行っています。FIUの活動には誰でも参加できます。関心のある方、またミーティングに参加したい方は、info@fiu.jpまでどうぞご連絡ください。

自由国際大学をGoogleで検索すると、一番上に大日本印刷の運営するwebマガジン『artscape』の現代美術用語辞典「Artwords®(アートワード)」(http://artscape.jp/artword/index.php/%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%A4%A7%E5%AD%A6)のページが表示されます。参考資料にこの自由国際大学のサイトを挙げてくれていて、その点ではありがたいのですが、残念なことにその自由国際大学についての記述は正確とは言えません。
たとえばそこで正式名称とされている「創造性と学際的研究のための自由国際大学」というのは、ドイツ語で「Freie Internationale Hochschule für Kreativität und Interdisziplinäre Forschung e.V.」といい、1972年、または1973年に設立されたとされる加盟者、援助者団体の名前です。それは登記された社団として、会費や寄付を受け取り、寄付証明書を発行、銀行口座を管理するなど、自由国際大学の法的側面を担いますが、「正式」名称がそうだということではありません。英語でFree International University、ドイツ語なら Freie Internationale Universität、日本語では自由国際大学というのが、その理念や労働連合を包括する名前です。(雑誌や書籍等の中で「国際自由大学」と表記されているものを今でも時々見かけますが、「自由」「国際」「大学」というこの並び順は、ヨーゼフ・ボイスの「彫刻理論」やボイスが影響を受けたルドルフ・シュタイナーの「社会機構の3分節化」の考え方と照応しており、変えることはできません。また、自由国際大学日本支部と書かれたものも散見されますが、創立趣意書にもあるように、自由国際大学はツリー型の組織を志向しておらず、日本支部という名称を使ったことは一度もありません。)
「ボイスが1974年にハインリッヒ・ベルらと設立した」と書いたのは、そもそも針生さんですし、ハイナー・シュタッヘルハウスの『評伝 ヨーゼフ・ボイス』でもそう記述されているのですが、その出所となっているゲッツ・アドリアーニほかの『Joseph Beuys Leben und Werk』を見ると、eine "Freie Hochschule"と書かれているだけであり、それはFreie Internationale Universitätではないようです。デュッセルドルフの使われなくなった見本市ホールを使って実際に「自由学校」をつくろうという構想が当初あったことは確かですし、教育や啓蒙活動が重要となるのはもちろんですが、1977年の『ドクメンタ6』では『作業場の蜂蜜ポンプ』の傍らでさまざまな社会問題をテーマに100日間の討論を行い、また1982年の『ドクメンタ7』では、『7000本のオーク』(原題は"7000 Eichen"、英語では"7000 Oaks"。日本では『7000本の樫の木』と呼ばれることが多かったのですが、ドイツ語でいうEicheは一般には楢のことを指し、また実際に植樹された木も楢の木です。ですから本当は『7000本の楢』という方がいいのですが、Oakをこれまで樫と訳してきた歴史的、文化的伝統も考慮して『7000本のオーク』とします)植樹プロジェクトを受託・実施したように、あるいは「緑の党」の創設に参加したように、自由国際大学は「社会彫刻のための拡大された芸術概念の機関」であり、「教育機関」と定義されるものではありません。
何かわからないことや興味のあることがあるとき、いま多くの人はまずウェブを検索すると思いますので、コメントしておきます。

自由国際大学の理念や歴史については、近いうちに再出版したいと思っていますヨハネス・シュトゥットゲンの『自由国際大学 社会彫刻のための拡大された芸術概念の機関―自由国際大学 理念、歴史、活動の記述―』に詳しく述べられていますので、そちらを見ていただくのが一番いいだろうと思います。


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